若葉のうた
王奕 (我蛮夷也)
读过 定本 金子光晴全詩集
森の若葉 序詩 なつめにしまっておきたいほど いたいけな孫むすめがうまれた 新緑のころにうまれてきたので 「わかば」という 名をつけた へたにさわったらこわれそうだ 神も 悪魔も手がつけようない 小さなあくびと 小さなくさめ それに小さなしゃっくりもする 君が 年ごろといわれる頃には も少しいい日本だったらいいが なにしろいまの日本といったら あんぽんたんとくるまばかりだ しょうひちりきで泣きわめいて それから 小さなおならもする 森の若葉よ 小さなまごむすめ 生れたからはのびずばなるまい 孫娘・十二ヵ月 元旦 正月になったというのに 若葉はまだ、零歳と六ヵ月だ。 七十歳になった祖父はこの子の娘盛りまで なまけてすごしたむかしの月日を 割戻してはくれぬかと蟲のいいことを思う。 若葉は、零歳六ヵ月というのに 丸丸として、三貫二百目ある。 このぶんで大きくなっては 若見山のようになりはせぬかと パパと祖母とが取越し苦労をする。 ねむることが一(ひと)しょうばいの娘のそばで ほどいた毛糸を一心に編みなおすママ。 小さな餅に金柑(きんかん)がのってるだけの正月だが とほうもなくこころのあったかい正月だ。 頰っぺた まあるい若葉の頰っぺたは 支 那まんじゅうのようにふかふかで 朱(あか)いはんこを おしてみたくなる。 おもてへゆきたいと若葉は泣くが かるがると抱けなくなってきたし、 それに、二月の風は、つめたい。 つめたいのは、風ばかりではない。 若葉は知るまいが、一あし出れば、 ふれさせたくないことでいっぱいだ。 柊(ひいらぎ)の葉がいたい。きこくのトゲがいたい。 車がこわい。粉雪もちらついてきた。 こんな寒空には、若葉よ。おうちにいよう。 おじいが、さあ、おしめをかえてあげよう。 抱きあげると、ずいぶん大きいようだが、 ねかせてみるとどうだ。まだ、あかん坊だ。 春 小さな手が、春をつかむ。つかんだ春をすぐ口にもっていって、なめる。 春は、どんな味がする? 若葉よ。 ママに抱かれてはいる大好きなお湯(ぶう)のように、 春はとろとろとあたたかくて、それに沈丁(じんちょう)の花の匂いがたかい。 下の歯ぐきからのぞいた二枚の白い歯が、若葉のはじめての春に そってさわってみる。そっと。 それからまた、小さな手は、石鹸(しゃぼん)のように浮いてる雲を、 光を、海を、大きな未來を、しっかりとつかむ。おもちゃの金魚といっしょに、 若葉がはなしたら、ばらばらになるかもしれない 家じゅうのみんなのこころの糸を。 さくらふぶき 夢でみた若葉は、さくらふぶきのなかに、花嫁の振り袖すがたで立っていたが 顔をのぞくと、やっと立ちあがる、まだあかん坊のままの顔だ。 あたりはしずかで、もの哀しいことしの春のかわたれどき しあわせなんだねとたずねると、娘らしくその顔を袖にかくしてはにかんだ。 パパやママが若葉のしあわせを見送るさびしさの、その日はいつの先のこと、 その日にあえるすべもない祖父は、うば車を押しながらそっと祈る。 雨風よ。若葉をよけてゆけ。 うば車がしずかにうごくと、若葉は、まぶたを閉じる。 そのまぶたのうえに、一(ひと)もとのうこんざくらが、とめどもなしに散りかかる。 問答 ママに似ていると言う。 いや、パパ似ですよと言う。 はえ際が ばばにそっくりとか 福耳(ふくみみ)がじじゆずりだとか言う。 いまは似なくても、こどもは いろいろに變るのだとも言う。 しいのわか葉、かえでのわか葉を わたってきた風が はだにやわらかい。 つみ木の門のようにあぶなっかしく ひとりで立上った孫娘に、じじが ほんとうは誰に似てるのときくと しわがれた声で、わんわんと言う。 新聞 若葉のちいさな手が、受話器を紐で吊上げ、めざまし時計を、灰皿を つかんでふり廻してから、捨てる。 (おもちゃなどには、目もくれない) だが、若葉がいちばん気に入りなのは、ごぞんじあるまいがそれは、 朝の新聞なのだ。ああ、それにしても昨今のむしむしした空もよう。霖雨と遠雷(とおかみなり)。 新聞のでてくることといったらまた、誘拐や、自動車事故、それに 海のむこうの政變や、爆撃。菅笠に寝かせたあかん坊の火のつくような泣声が聞(きこ)える。 だが、若葉の手は、祖父(じい)の読んでいるそんなニュースをひったくり、かさかさとまるめ 二枚の乳歯にひっかけて、未來を賭ける力づよさで、晴(はれ)がましさでびりびりとやぶる。 若葉よ來年は海へゆこう 絵本をひらくと、海がひらける。若葉にはまだ、海がわからない。 若葉よ。來年になったら海へゆこう。海はおもちゃでいっぱいだ。 うつくしくてこわれやすい、ガラスでできたその海は きらきらとして、揺られながら、風琴(ふうきん)のようにうたっている。 海からあがってきたきれいな貝たちが、若葉をとりまくと、 若葉も、貝になってあそぶ。 若葉よ。來年になったら海へゆこう。そして、じいちゃんもいっしょに貝になろう。 若葉の旅 若葉が、ママのふるさとの秋田へゆくという。わずか十日か、十五日なのだが、 わずか十日か、十五日なのだが、そのあいだ、この家はどれほど痩せることか。 若葉についてゆけないおもちゃたちも、どんなにさびしいおもいか。 山牛蒡が伸び、油蟬がなき、太陽も、乳母車も、しょざいないだろう。 旅とは、旅立つものよりも、送るものの身になおさら たえがたいものという。だが、まだ出立は二、三日あとのこと。 じじがかえると、もう若葉はねているという。蚊帳越しにのぞく 大輪の夕顔の花のようにうかぶ寝顔。買ってきた靴をそっと、その枕もとにおく。 若葉の夢 残暑がまだきびしいのに、どこかでかなかながないている。 あそびつかれてねむる若葉。ママの鏡台から摑(つか)んできたクリップを片手にもったまま。 ねむりながら、キャッキャッと声を立ててわらう若葉。 若葉は、おもしろい夢をみているのだろう。たのしい夢をみてるにちがいない。 ジジは、そばで蚊を追ってやりながらおもう。 その夢のなかに、ジジも入れてもらえない ものかと。 でも、それは、しゃぼん玉のなかへ入るよりむずかしいね。 それに、風鈴(ふうりん)がさわがしい。あらしがよけて通るらしいよ。 若葉の十月 海にふる雨よりさびし散る木の葉。(古句) どこかで落葉を焚く その香ばしいけぶりが、庭木をながれる。 若葉よ。ガラス戶越しにそれをながめていよう。若葉はきいきがわるく 小さな嚏(くさめ)をしたり、鼻をぐすぐすいわせたり、それに少しの熱もある。 誰もゆするもののない鞦韆(ぶらんこ)の腰掛け板の日だまりに、 雀がきてあそび廻っていても、けふ/きょうの若葉は、もの憂そうだ。 若葉がちょっと元気がないと、じじやばばまで、家じゅうしずみこんで それでもみんなで夜も、日も見張っている。 蟲づるんだ庭木や埃(ほこ)り蕈(だけ)、かわいた石やくもの巢など、意地わるい連中が 部屋のなかをのぞきこみ、ひそひそと相談してるからだ。 ——ここん家(ち)の娘っ子に風邪をひかせようと。 十一月の若葉 十一月の小春日には、若葉をつれてどこへゆこう。 デパートの屋上は、風が強すぎる。それに金魚もいない。小猿もいない。遠い相模の山竝みが、 貝殻のように光っているばかりだ、ふかい青さで醉っぱらいそうな大空に、 金いろの雲が一ひら浮いているが、みているうちにおりてきて、 『若葉さん。さあ、お迎えにまいりました』と言いながら、 友達の天使たちがつれてゆこうとするのを、このくにで成人しても倖(しあわ)せになれる保證がないからと言うことばにも 返えす弁解がでてこないで、渡してしまう仕儀になっては大變と、 若葉を抱えてエレベーターのない狹い階段を驅けおりると、そこは、『冬物子供衣類大売出し』。 十二月の若葉 若葉のこわさない玩具はない。若葉の割らない皿小鉢はない。 だが、若葉の手にふれて、こわれることは、割れることはうつくしい。 若葉が破れるための絵本をじいは、本屋の店先に立って選んでいる。 師走の砂ほこりを嚙みながら、“過ちより狂ったようなじぶんの青春”をおもいうかべて、 若葉だけは、危ない人生には近づけまいとおもうかたわら 人並は栄耀を取逃(取り逃が)すなと矛盾したことを願う。 首のぬけたわんわんや跛(びっこ)の驢馬、腕なしの眠り人形や折鶴などをともにつれて 一九六六年午歳の扉を胸で押して若葉が入ってゆくのも、指で數えてわずかな日數だ。 若葉の詩 しあはせの弁 なんのゆきちがひか 僕はまだ かうして生きてゐる。 兄弟四人は、みんな死んでしまったのに。 不摂生もし、ずいぶんからだもむりしたのに、 神にも、仏にもそっぽをむいて、善根をつんだおぼえがないのに。 金まうけも下手だし、そのほかになにかのとり柄があるわけでもなく 人を愛しもせず 人からも愛されず それが長年のなれっこで淋しいともおもはず 生きてゐねばならぬことのやうに 七十年も生きてきた僕。 どんな風のふき廻しかそんな僕に、親切にも協会から寝びえをしないやうにといって、 夏の毛布をおくられたうへ、墓場の世話までやいてくれて 渋面つくった、いやな爺(じじ)いも、この期(ご)に及んで勝手ちがひもいいところだ。 まだそのうへにひとり息子に花嫁がきて これはまた 棚から牡丹餅の 世のしあはせをひとりじめして さづかりものの孫娘がうまれて この皺づらをしたつて抱かれがたる。 いまだに僕は 信じられない。よその誰かのしあはせを、そっと失敬してゐるやうで、そはそはとおちつかない。 まんきい 『若葉』は、さるとは言はないで かたことで、まんきいといふ。 こまったことに、それは『若葉』のパパが 学校で、英語を教えている習慣からだ。 『若葉』よ。君が成人の娘となる頃の 日本はどうなってゐるのだろう。 まだその頃も、まんきいのやうに 西洋の身振(ぶ)り手真似をしていようか。 それよりもっと肝心なことは、 『若葉』がしあはせでゐるだろうか。 パパにも、ママにも明(あか)せないで 心配なことが、あるのではないか。 『若葉』が泣く声をききつけても もうそのときはこの老人があやしてやることができない。 しゃがんで、尻を搔いたり、頭に手をのせて まんきい歩きをみせてやることもできない。 ぶらんこ 小さな足のうらが 羯鼓(かっこ)をうって 板廊下をみだれ足に 近づいてきた『若葉』が 障紙のやぶれ穴から のぞいてゐる黑い瞳。 このごろの僕の朝が かうして始まるのだ。 ミルクでいっぱいな朝が。 へそ出しの『若葉』を抱いて ぶらんこにのる。 僕らは 出發する。 人生はいつでも出發だ。 若い日のその實感を 僕は ひさしくわすれてゐたものだ。 ごらん。僕の骸骨は磨滅して ひびだらけで、ぐさぐさで、 立ちあがる丈が一苦勞だ。 『若葉』といっしょなればこそ、 大王松を跳び越えて 流れる雲に追ひつけるのだ。 さうだ。この人生には 勇氣といふものもあったのだっけ。 若い日 僕もそれをもってゐた。 だが、それにはどこではぐれたかしら。 萬年床を辷り出して いまは、 どうだんの垣根に添うてあるく丈が勇氣だ。 二歳とすこしの『若葉』と 七十歳の僕とは こうやって同時に生きてゐる。 同時に生きてゐるふたりには、 當然、共通点がある。 おなじ世界を共有してゐることだ。 そのうへ、『若葉』がゐることで、 僕にもすることがあることを 小さなタイラントは僕に教へる。 ぶらんこがおこす爽やかな風。 ぶらんこにふれて ゆらぐ 姫萩。 ぶらんこを大きくこぎながら 遠すぎるむかしの 手がかりのない記憶をさがす。 『若葉』を僕が抱くやうに、 おなじやうに僕を抱いて あそんでくれた誰かがあったはずだ。 まぼろしにもうかばないその人たちを 水にもうつらないその俤を、 教へてくれる人は猶更ゐない。 僕が二歳で、その人たちが 七十歳であったとしても その瞬間を 同時に生きてゐたのに。 あかんぼの譜 イヤゴーも 昔は、かあいい坊やだったのです。 鴇婆(やりて)のまんのも 惡婆(あくば)になるまでには おぼこ娘からその日までの、女の歷史の有爲轉變があってのことでせう。 キリスト教が婴兒像を表看板にしたのも、充分すぎる配慮の上かもしれませんよ。 人間の誰もがあかん坊であったことは、イロニーではすまされぬ問題のやうです。 誰にも母親があることで、七十歳になっても人間から 乳臭さがぬけないのです。 人の世がどこか未熟で、しめくくりのつかないのはそのせいでせうか。 從って、『若葉』のやうなあかん坊が、これからどんな女に成長するかは 二丁賽の投げ丁半よりも、豫想がむづかしいのです。 末は守錢奴もいたづら娘も 淑女の鏡も 玉の輿も いまはまだ、あかん坊でなにがなにやら。濡れたおしめがうるさいので、泣いて喊(わめ)くのがせいいっぱいです。 無題 器量といひ、愛嬌といひ、聲音(こえ)、しぐさ、利發さといひ、なに一つ、 わが子、わが孫にまさるものなしとおもふのは、偏愛の愚かさの極。憫笑の種とはいへ。 こころに藏(しま)ひ、口に鍵をかけて よそにもらさぬ心づかひがあれば、 人間本來のエゴイズムのなかで節制ある人といふことができよう。 愛憎が身近いところからはじまって、遠ざかるほどうすれてゆくのは、 是非もないことだ。だがどんな血腥い裏切りよりももっと芯の寒々としたものは じぶんをまもるための人間同士の『冷淡』さである。 そして、人生は、この『冷淡』に圍まれて成立ち、その『冷淡』を、時にはひうまにずむとよびならはす。 『若葉』よ。大きくなっても、そんな崖っぷちへよってはいけない。 『若葉』よ。忘れても騙されてはいけない。 一山いくらの誠實や、聲高らかな行進曲に、結婚詐欺に、セールスマンの甘い口ぐるまに。 『若葉』はわらふ 『若葉』は、猫の首を引きぬき、ピノキオのじまんの鼻をぶらぶらにし、その他、 狼藉至らぬことなきありさまとなった。 うさはらしでもない。蟲の居どころのわるいせいでもない。 それどころか 新しい可能に滿足して、彼女はこころの底からけらけらとわらふ。 資本主義を知らない『若葉』は、まはりの者がはらはらするやうに おもちゃがそんなに高價なことも 人も おもちゃも 金の家來であることもしらないので、 つかんでは、世界の外へ捨てる。 ボンバルトマン·アトミックの危(あぶな)い時代ととなりあひながら 『若葉』は、すこやかに大きくなるが 『若葉』が一人前に成人する頃には、ことによると 金のねうちも 戀愛もなくなってゐるかもしれない。 『若葉』ら親子だけが人間で、あとは、ごきぶりの大群かもしれない。 いや、それよりも、世界がなくなってゐるかもしれない。 本 本は、まったくたくさんすぎる。 『若葉』にはなにをよませようか。 『若葉』は目下、蟲眼鏡でしかみえないやうなものを 大事さうにひろってくるが。 大人共が推量してゐるやうに 彼女も その仲間も ピンクの世界にゐるわけではなさそうだ。 犬との劇的な初對面。 リボンとキャンデー。 そのへんを中心にして 彼女の世界は、氾濫する。 オバQの道化たかなしみも まだ緣のない『若葉』には、 紅皿、缺皿も、 白雪姫も、鉢かつぎも 當分、用がなさそうだ。 本は、まったくたくさんすぎる。 『若葉』よ。もしそれができるなら 一冊もよまないで大きくなってくれ。 ANGEへのLOUANGE ANGEは エーテルのなかに ただよってゐるから いつもあんなに 上氣したやうに 薔薇いろなのだ。 だがここの空氣では いくら『若葉』が ANGEに近い生れでも 成人して、たとひ VENUSになれるにしても、 思惑通りには運ばない。 空氣中には 眼にはみえないが 惡い蟲がいっぱい蠢(うごめ)いて、 人の內臟を喰ひ荒し スモッグで、 骨まで紫に染める。 どこへいっても人數(ひとかず)が多すぎて、 二酸化炭素が いやな體臭が 人を窒息させるばかりか 良心までも くされ豆腐(どうふ)にしてしまふ。 『若葉』よ。 音樂や 馴々しさには氣をつけるのだよ。 あつまってくる 人間の男たちには ANGEのねうちが分らない。 『若葉』よ。いつも つんとすまして つけこむすきをみせないで。 すこしむりかもしれないが ANGEのこころで ANGEのからだで そのまま、大きくなってほしいのが できないことばかり考へたがる このじいちゃんの祈りなのだ。 だが、それにしても ちかごろの ANGEのお行儀は眼にあまる。 いや、氣にしまい。『若葉』が娘になる頃には、そんな『若葉』を見て知ってゐる この年寄りは、とうにゐないのだから。 雨 ——天氣豫報のあたったためしはない。 しづくになって落ちてはこないが、蟲っこよりこまかい 雨の子が眼先にまひまひする。 意地わるな雨の子が、ぶらんこの板をぬらした。 テーブルのしたで遊ばう。ここがいちばんいい。 『若葉』は、おもちゃ共をいぢめる。 でも それは おもちゃを、憎んでゐるのでも 仕置してゐるのでもない。 ときには、いぢめられてゐるのが『若葉』のはうで、 じいちゃんに泣いて助けをもとめにくる。 折り鶴や 折り蓮花(れんげ)のやうな いろいろなあやの感情がそこでかたちになる。 雨の子はくらい。うっとうしい。繭(まゆ)のやうに人を封(と)じこめる。 傘をもたずおつかひにいったママが ぬれないうちにかへってくればいいのにな。 おばあちゃん 『若葉』のおばあちゃんは もう二十年近くもねてゐる。 辷り臺のやうな傾斜のベッドに 首にギプスをして上むいたまま。 はじめはふしぎさうだったが いまでは、おばあちゃんときくと、 すぐねんねとこたへる『若葉』。 なんいもできないおばあちゃんを どうやら赤ん坊と思ってゐるらしく サブレや飴玉を口にさしこみにゆく。 むかしは、蝶々のやうに翩々(へんぺん)と 香水の匂ふそらをとびまはった おばあちゃんの追憶は涯(はて)なく、ひろがる。 そして、おばあちゃんは考へる。 おもひのこりのない花の人生を 『若葉』の手をとって教へてやりたいと。 ダンディズムのおばあちゃんは 若い日身につけた寶石や毛皮を みんな、『若葉』にのこしたいと。 できるならば、老の醜さや、 病みほけたみじめなおばあちゃんを 『若葉』のおもひでにのこすまいと。 おばあちゃんのねむってる眼頭に じんわりと淚がわき 枕にころがる。 願ひがみなむりとわかってゐるからだ。 花びら 空宙にちりおちる花びらよ。この手のひらにとまれ。 とまったその花びらは、ながめてゐるひまにまたどこかへ 風にはこばれて飛ぶ。 愛情はうつろふもの。いのちもたまゆら。また、いかなる所有も、 身邊に堰(せ)かれて しばらく止まるだけで、時が來るのを待って、淙々(そうそう)と水音を立てて走り去る。 『若葉』よ。その新しい血にも、出發があり、どこかしらないがゆく先がある。 父も 母も 祖父母も不安げに見送るが、そのゆく先はわからない。 たとひ 幼女の頭腦が、むづかしい代數問題を解こうとしてゐるにしても、 ちりぎはの變化の方則はさがしてあてられそうもない。 花よ。できるだけ大膽に、かをりたかく咲け。そして、聰明であれ。 だが それよりいももっと 嫋(たお)やかであれ。 十人の『若葉』 太陽は當分、頭のうへにあるだらう。人間のしめった足のうらは、あひかはらず 地面に吸ひついてることだらう。でも 『若葉』の時代の人類は もうすこしは利口になって、世界は風通しよくなってゐるかもしれない。 頸から胸へかけた細い金ぐさりの先に搖れてゐる名匠のカメオの浮彫りの ももいろ珊瑚の『若葉』の橫顏の愁ひ。でも、あのナポリの空にかかる浮雲の 一すじ、二すじのほつれ毛ほどの愁ひ。 僕が夢にみる『若葉』は、その夢のたびにちがってゐて、 おもざしも 性格も しぐさも また、その雰圍氣も 聲音も これがはたして『若葉』なのかと一一、戶惑はせられる。 光、雨、虹のなかの光彩の流れや、屈折や、蕩搖や、しぶきにつれて 姿かたちの變化が無限であるやうに、『若葉』じしんの生活と、それを、支える精神のあらゆる可能性だけが 彈けるのを待つ柘榴(ざくろ)のやうに、僕のあたまにぎっしりつまってゐる。一つの開幕のやうに。クーデター前夜のやうに。 はるばる未來からやってきたもの 1 誰もがあいそよく このお客さまを迎へた。 やはらかい雲に乘ってきて ねむりつづけてゐるお客さま。 誰もがめづらしさうに このお客さまをのぞきこんだ。 こんばんはを 言ふのも忘れて。 エレベーターで下りる時から かたくにぎった小さな掌が なにをにぎってゐるのかしらと、 誰もがそれを知りたがったが。 にぎってゐるのは阿古屋珠か。 それともどこかの道ばたの 名もない草の切れっぱしか なにかの關所の通り手形か。 誰にも それはわからない。 でも 忘れてもそれがみたさに いたいけな指をこじあけて ひらいてみたりしないやうに。 2 お客さまは どこから來たのか。 誰がそっと 母親の胸に それを抱かせていったのか。 僕の倅/悴の長女なら 僕にとっては、孫娘だから、 僕がなんでも知ってるやうに おかしな眼つきで 人がみる。 まのわるい顏で 僕は下をむく。 さざなみのうへにゐて どこの岸へも遠いおもひで こころぼそくただよふ僕。 そして 誰よりも遠慮がちに うしろの方からのぞきこむ。 懷疑主義者の僕が近づいては 彼女を非運にしはしまいかと。 さうだ。 僕はもう肚のなかで 誰かがよその子をつれてきて ぬかよろこびさせて そのあとで あざわらふ魂膽ではと疑ってゐる。 3 それほどおもひがけないのだ。 青竹のふしを割って 姫をとりだした翁のやうに 老夫婦はただ おどろいてゐる。 お客さまはよく眠り よく乳をのんで、日に、月に まるまるとふとっていって 一年で 三年のめかたになった。 彼女のうへを白雲がとび 彼女のめぐりで花散り、葉が繁ったが お客きまは それがどこで、 じぶんがなぜゐるかも頓着なし。 獨樂(こま)に廻されるのはまはりの者だ。 むづかるのを抱いてあやす 瘦腕の衰へを僕がなげけば それさへ果報と、病妻はうらやむ。 お客さまがむづかるのは ぬれたおしめをかへてほしいのだ。 おしめのうへにほのぼのと カナリヤ一羽が假死してゐる。 老人は それを天秤の皿にのせ 蟲めがねをもって 分銅を 置いたり とったり 加減をする。 かかるしごともまた、たのしい。 4 お客さまの名が 『若葉』とつけられた。 青葉、若葉の季節にうまれ すくすくと伸びよのつもりだが、 もちろん彼女はしる由もなく 風ぐるまを立てた乳母車で おぼつかないぢいの腕に押され はや、とろとろと眼をふさぐ。 ゆきずりの人の眼がいとほしげに、 近よって、ことばをかけるものもある。 その柔かい頰のうへで、 さしだした枝の影がたはむれ、 垣根のばらの花虻が、 はらっても、追ってもついてくる。 『若葉』にふれてゆく風は こころづかひもこまやかに、 『若葉』を送り、迎へる時間は、 うすぎぬのやうにしなやかに辷る。 そして 『若葉』のゐるまはりは 乳くさい甘さで むれかへる。 老媼と 老翁とは 顏をみあはせて言ふ 『苦しいことも多かったが お互ひに生きてゐてよかったね』 5 だが、こんなうすい米のとぎ水のやうな、ありふれた愛情が 『若葉』の將來の 邪魔になりはしまいかと、老人は怖れる。 『若葉』は、サーカスの宙乘りブランコのやうに、はらはらさせる跳躍で 空たかいどの枝に跳びうつれるかわからないものを。 びっしりと、エメラルドの芽をふいた落葉松(からまつ)か。 ヒマラヤ杉のてっぺんか。嫋々(しなしな)としなふびゃくしんか。寶珠をささげて立つ泰山木(たいさんぼく)か。 『若葉』が辿らねばならぬこれからの人生を、 やりくりばかりで生きのびてきた僕らは、そんなに都合よく めでたづくしですむものともおもはない。 人間のはからひの及ばない、おもひがけない それでゐて計算の誤りのはっきりしてゐるのが現實なのだ。 だが、そんなことはまだ、『若葉』に教へることではない。 『若葉』がみてゐる夢と言へば、 綿菓子のやうな マシマロのやうな、 白鵞の腋毛の羽根ぶとんのやうな 香水石鹼のいいにほひのする あかん坊ばかりのパラダイスで あそんでゐたときのことばかりだ。 6 人間の出生の難所々々のにがい記憶や『原罪』の重荷など、 少くとも、いまの『若葉』とかかはりはない。 その證據に『若葉』が生れてから そらは、にっぽん晴れつづきで 天で大宴會でもあるのかして 御馳走を盛った銀盆がぶつかりあひ、 ナイフやフォークの物音が騷がしい。 『若葉』をおくってきたヘリコプターがみわたすかぎりの かやつり草の原っぱで擱坐して 上からの眩ゆいステンレスで そのへんも、羽蟲一つとんでない眞白晝(まつぴるま)だ。 『若葉』のまはりがしんとして、鳴りをしづめてゐても、 それは、當然のことだ。 『若葉』は、未來をつくるために、ふるいものをこはす使命を果しにきたのだ。 だが、どれほど大きな宿命も、いまの『若葉』にとっては、なんのねらちにもならない。 彼女の魅惑は、たった一つ、彼女が無心で、いたいけで、 この世のなにものよりも非力なことだ。 誰かが抱きあげて、乳首をやうなかったらひとりでは、 おっぱい一つさがしあたらないのだ。 7 產院の廊下のしづかで、ながいのを 僕は忘れることができない。 人生の出口の『靈安室』と その入り口の『新生兒室』との わかれの階段は、うすぐらい。 初孫をみにゆく老人は、盜みに入ったやうに、裸足(はだし)の足音しのばせて むれをどらせてその階段をふむ。 愛着によろめく足どりを 人にみられたくないみえからだ。 うんだはにもふれさせずに うまれたばかりのあかん坊を ねかせた白いとこのうへ。 むらさき玻璃(ガラス)越しに眺めると 並んで眠るそのあかんぼ達は 眞珠舟のやうにほのぼのとした しゃぼんだまのなかにゐるやうな。 老人は 淚のたまった じくじくな眼を近よせて さっきから それらしい 孫娘の姿をさがしてゐる。 『どなたのあかちゃんをおさがしですか』 かんご婦さんに聲をかけられて、 それだけで、老人はよろめいて、 口のなかでなにかもぞもぞと答へた。 まるめろのやうな 丸顏の かんご婦さんが親切さうだったので 老人は、やっときこえる聲で 『森の若葉』と言ひ直した。 『そのあかちゃんなら、たった今、 おぶうをつかって、秤り臺で、 めかたをはかっておいでですが、 とっても肥った孃ちゃんですよ』 そう言はれてきょろきょろした老人は 眼の前に抱いてこられた『若葉』をみて 當惑で、顏をまっ赤にした。 それは、はじめての孫を抱くためではない。 8 それは、僕らから息子夫婦に、さらに孫に、 ひきつがれてゆく人生と時間の續きが、 このままでいいのかといふ躊躇(ためらい)であった。 親たちでも、身內の誰彼でも、 愛情にひかされるにしても、いまの世のなかに、 すこしの良心のうしろぐらさもなく 幼いお客さまたちを招待できるとしたら それはよほどのお人好しか、無智か すでに現代のオートメーションのなかにひきずり込まれて、 劃一的な枠のなかでしか物が考へられない自個のない、部品化された人民大衆の、すりへらされた無感動な頭腦のなりゆき次第な、その日ぐらしの心境からか。または、 誰のこころの隅にもこびりついてゐる、むかしながらの血緣のエゴイズムか。 ——ボスたちの勞働力として、戰力として多產を獎勵する そんな時代はまだ、終ったといふわけではない。 こんなところへ子供たちを迎へるのは、 土臺も 屋根もない家か、食べあらされたままで、まだ片付かない 御馳走のしたくもできてゐない食卓へ、 招待することよりも、もっとひどいことだ。 ゆく先のことは測られず、不安はつきものの人生としても このままではあんまり、見透しがくらすぎる。 なるほど、あかん坊は橄欖油(オリーブ)を塗られ、 香料とプードゥルでまぶされ 消毒され、 豫防注射をうたれ、 現代生活の合理化のなかで、 すこやかに成長し、 新しい考案と 新發賣の、 おもちゃや衣裳にうづもれる。 あかん坊はお客さまであるばかりか、 すでに、立派なおとくいさまなのだ。 ひかりかがやくおとくいさまに、 このあつかひはすこしもむりではない。 『だが、それならば』と老人は言ふ。 ばらいろのえんぜるたちが、 住みやすい、いい世のなかを つくろうと 人はのぞまないのか。 のぞんてもかなはぬことに、人は絕望したのか。 いい世のなかをつくるのに 邪魔になるよその國々の人を 毛蟲を燒くやうにみなごろしする そのためにつくられる新兵器で 地球は、しんまで冷えかへるばかり。 『自由とか、平和とか、人類愛とか言ひながら、 人間の文明は、正義や知識を逆の盾にして、 おのれひとりじめをしか考へられないために、 どこの草叢にも陷穽(おとしあな)がしかけてあり、どこの街角にも焰硝のふすぼる臭ひがする。 戰場とならない土地はなく、燒野原とならない街はない』 當惑で顏をまっ赤にしたのは はじめての孫を抱いたためではない。 『息子や嫁がついてゐるとはいへ、 『若葉』をこの世に迎へたことは、 高波にのって遠ざかる三人の小舟を ついてゆけない僕が岸に立って はらはらしながら見送るのと 似たやうな絕體絕命のおもひだ』 9 じいの押す乳母車のなかで 誕生日を二つ迎へた『若葉』は、 ヹトナムを中心に 世界が搖れてゐることも、 颱風が九州に近付いたのも なんにもしらずに眠ってゐる。 殘夏の太陽がつよいので、車は、 楊柳の日かげをよって、すすむ。 車を押しながらじいの心の もう一人のじいがつぶやきだす。 『じぶんの力の及ばぬことを あくせく考へるばかなおやじよ。 いいかげんにするんだ。 おまへと息子ができなかったことを 『若葉』や その同時代の連中が ひきつがうと、やってきたものを』 ENVOY/ENVOI その子を抱きあげはしたものの 僕は、そこらをうろつくばかりだ。 世界は こんなにひろいのに どこにもこの子をおくところがない。 ベッドのうへは じくじくて 澤芹(さわぜり)や 浮萱(うきがや)などが生ひしげる。 そよ風のうへか。 雲のうへか。 せめて、きれいに拭ひあげた 大皿のうへにでものせようか。 いや、いや できることならば、 あの餘韻こまやかな 十三絃の琴絲のうへに そっとおきたい。そっとおきたい。 愛情によせて 一對 ——小山哲之輔におくる。 冬もいいが、この年になると 石が つめたい。 かなものが いたい。 ご紹介しよう。これは僕のふるい友達で、 そのそばにしょんぼり坐ってゐるのは、 五十年つれそった その奥さんなのだ。 ガラス戶のむかうは、すがれた小菊をぬらす、 雨。 それでも、心配してゐたほど 老年は、さびしいものではない。 五十年つれそふといふことは、なみたいていとはおもはれない。 この一對をみるたびに僕がおもひだすのは馬來の旅で 雨霧にうすれる梢で、身をよせあひ なきかはしてゐた二匹の老猿のことだ。 愛情とは、からだとからだをよせて さむさをあたためあふことなのだ。 それ以上のなにごとでなくても、 それだけでも充分すぎるではないか。 別離 愛情はかならずしも花ではない。うるんだ眼の湖にそって つづくかぎりの水際(みぎわ)を僕がゆけば、『死』は、そのやさしいこころをひらいて、話しかける。 ——君は、もうこのわたしを、むごい眼でばかりみようとはすまい。 あるくのは、君には疲れすぎる。やすらかな休息の場をほしがってゐる君のこころを、誰よりもわたしが知ってゐるつもりだが。 しめる朽葉の香(かん)ばしさ。しみいる水のきよさ。また、ひややかさ。 ふところに入ってきて拡がる霧。忘却のしづかさに耳傾けて僕は、おもふ。 ——ふれてはすぐ離れ、遠ざかったものの夥しさ。また、にぎやかさ。 とりのこされた僕じしんと、愛情につながるわづかばかりの記憶を一まとめにして見送るその日の、とりわけいさぎよいこと! しあはせについて ——旧友Sに 花でむれ返った部屋にゐると胸苦しくなるやうに、 しあはせが禁物の人がゐる。 人がもとめるしあはせなんて、ほんのわづかなもので、 荷物になるほどのしあはせは、もはや、しあはせとは言へないのに。 しあはせのアレルギー患者たちは、おほむね、 うすぐらい小部屋の隅で、要慎ぶかく、じぶんのふしあはせをまもって、じっとしてゐる。 窓の外の張出しで、風雨にさらされた土鉢と、きりぎりす籠。 ふしあはせが生んだしほたれた風景のなかで、 ある日、ふしあはせ同士がめぐりあひ、そのふたりが夫婦になったが、それはなんのふしぎでもない。 荒茫とひろがるふしあはせを埋めつくすほどのしあはせが、 世にある筈(はず)はないとおもったからだが。 爪の垢ほどの彼らのしあはせが、あらうことか、月や星よりもきらきらとかがやきださうとは。 ちいちゃい王サマ はやいものだ。孫の若葉はもう 三歳になった。 歳月がつくりあげるものに 人は勝てない。 若葉の名は とたずねると つい先頃(さきごろ)までは きこえぬほどの声で ワカバと答えていたのに このごろでは カネコチチハルと マ行の発音ができないで わかっていながらわざと じいの名を言う。 それに いたずらも 人の意表をついて 大人がおどろくのをみて けらけら笑う。 じいに似てこの娘も 臍曲(へそまが)りになるのではないかと心配すると いまが反抗期なのだと 若葉のママが言う。 こうして この小さい娘のなかにもなにかが 小宇宙と それを支配する自我ができてゆくらしい。 ほしいものをつかんだら決して離さない。 いっさいか 無か それも誰(だれ)かに似てるらしい。 若葉と夏芽 運動会 若葉のうたを書いてから もう、随分な歳月がながれた。 そのあいだに鸛(こうのとり)が、 もうひとりあかちゃんを運んできた。 晩春の頃にうまれたので みんなで、夏芽と名をつけた。 椎(しい)の実なりの小さな夏芽は、 はっきりした瞳で、問いつづけた。 ここはどこなの。あれはなに、 いったい わたしは誰なのと。 その夏芽が、幼稚園二年生。 姉の若葉は、小学校三年生。 ことしも秋がきて、どこの小路も 木犀の薰りがたちこめて、尼僧院の 大木の欅竝木(けやき)が、こいそがしく、 黄に、朱に枯葉をふるい落す頃、 そこの広庭、ここのあき地で、 たのしい子供の運動会が開催(もよお)される。 幼い夏芽の運動会は、十月四日。 そのあと三日置いて若葉の運動会。 ふたりは、それぞれ招待状を作って ねている爺の枕元にそっと置いてった。 招待状はどっちも念入にふち取りの 花や、苺や、てんとう蟲や、片方の女靴、 王子さまの乗る車などが、色鉛筆で、 飾ったなかに、平仮名で書いてある。 お爺ちゃま。若葉の運動会にきて頂戴(ちょうだい)。 夏芽の走るのをみてください。 これではどちらも行かずばなるまい。 幸ひ、夏芽の日は好天気だったが、 若葉のときは雨で日延べになって、 二日おくれて、やっとその日が來た。 校長先生や、PTA会長の隣りの 敬老席に、僕は腰をおろして、 朝の九時から、午后三時まで 子供達の走りくらや綱曳を眺めた。 塊(かたまり)にとけた子供たちのなかから 若葉ひとりをさがし出すのは大變だ。 望遠鏡にもなかなかかからない。 ひょっくり近くにいる若葉に、片目瞑(つぶ)ると、 蛸の口をして、若葉は、応答する。 わが家の誰よりも洒落の分る奴だが (洒落などわからぬ男に嫁(かたづ)いたら、 戯(おど)け者といって窘(たしな)められるだらう。 勝気で、口惜しがりの妹の夏芽は、 とりわけ気苦労な生涯を送るのではないか) わが家の小さな姉と妹とは、 よその多勢のなかでみていると、 他を追ひぬいて走る気力に乏しく、 迷惑顔でついて走っているだけだ。 子供の頃の僕も、おなしだった。 おばあちゃまも、パパママもそうらしい。 生き変り飛びつづけてもわが Race には ゆくあてもなければ、止り木もない。 万國旗が風にはためいても、風船が割れ、 つづけさまに花火が空にあがっても、 子供たちよ、胸をおどらせるな。 歓声をあげるな。僅かな歳月のあいだに、 むかしなじみの旗が消えて、 みたこともない國旗がたくさん增えた。 そのたびに、無辜(むこ)の血がながされ、 血泡(あぶく)で、裏町の溝はのどを鳴らした。 旗のもとに集まる人々の特権を護り、 その優位と、限りない欲望に曳ずられ、 このいたいけな子供たちにも、 悲惨がそのまま引き継がれて、 灰をかむったしらじらした風景と、 廃墟の思想をふかく身に沁みこませる。 若葉よ。夏芽よ。お爺ちゃま達が びりっかすの人生をいま迄生延びたのは、 君たちや、お友達みんなの 危い曲り角を教えてあげたいからだ。 だが、塩辛い涙と洟水をすすって、 目先がうるんで、君たちの姿までも、 みえなくなる日が遠くはないのを そのときが來たらみんな空しいのを そんな悲しみを越えてまだ人生があり 路がはてしなく先へつづいているのを、 さて、どんな顔で見送ればいいのだろう。 小さな姉妹たちの幸福(しあわせ)ばかりの遙曳(ゆれなびき)を まだなにも画いてない答案用紙を、 願望(ねがい)通りと信じていればそれでいいのか。 だが、姉妹よ。君にとって、幸福とは、 ゆたかな暮し、こころ平安などではなく、 みまもられる眼のあたたかさや 炎のやうな燃えさかるものでもなく、 苦痛でしか現はすすべのないもの 死と断念しか受留められないもの かもしれない!(↙傾斜) そして、僕は、 君たちに、遙かに届かなくなり 君たちはまた、できるだけはやく、 僕を忘れてゆくのにまちがいない。 まだ無毛(かわらけ)の君たちの人生には、 わずかな痕跡しか記されていないが、 リレー競走やフォークダンスを踊る 君たちの赤組と白組が集っては散る ひとりづつが懸命のエネルギーが、 一団の熱気となって鬱々(うつうつ)とひろがり その歓声のなかにはすでに、 今日の否定が、底鳴(なり)してゐる。 もう 番組は終りにちかく、 招待者たちは三人、五人と立上る。 陽のしずむ空だけが明るく、 夕ぐれ近い寂寥がそこらに這う。 朝顔の枯れた蔓が、種をつけて、 からみついている金網の方ヘ 自転車に圧されてよろめく老女を ころばないやうに支えてやると、 老女は歯のない空洞な口をひらいて 『お爺さんは 運動会がお好だね。 このあいだも 幼稚園で お姿をおみうけしましたよ』と言ふ。 『ええ。毎日でもでかけますよ。 でも、膝に水がたまって痛むので 來年はゆかれないかも知れません』 そういうと僕はしっかり胸を反らせ それ以上、かかりあいたくないので、 しゃんしゃんと歩いてみせながら みるみる遠ざかってから振返ると、 みたくもない老婆の周りにぶら下り、 多勢の子供たちがとんだり跳(は)ねたり 路 若葉がちいちゃいときは、乳母車で 近くの小路を押してあるいたが そのたのしさが忘られず、 妹の夏芽のうまれたので、 早速、物置から古い車を出して 埃をはらい、掃除をしていると、 姉妹のママがみつけて、飛んできて 『お爺ちゃま、それはいけません』と言う。 『何故』『若葉の時とはちがいます 車がふえてあぶないし、それに お爺ちゃまもとしをとりました』 いちいちそれはもっともなので、 口惜しがっても自信がないので 車はもとに戻して、老人はしょんぼり。 最後の夢ももぎとられた足元に すがれた垣のじゅず玉が揺れていた。 旅 若葉と夏芽はときどき 派手な喧嘩をするが、 小さい夏芽が、いつでも 敗けているとは限らない。 でも、彼らには喧嘩もあそび。 毆るのも、引搔くのもあそび。 負けない根性の意地張りの夏芽は、 あいての仕掛けた通りを返えす。 犬と猫のような姉妹が、 子供部屋で居なくなったやうに しずかに話していることもある。 姉らしく教えたり、妹らしく素直にきいて。 『おぢいちゃん、いい人? それとも、わるい人?』と妹。 『どっちか、夏芽が考えてごらん。』 『そとへゆくとお土産をくれるから やっぱりいい人。お姉ちゃん。』 ふと耳に止めて老人はほくほく顏。 ママの苦情も忘れて。リカちゃんか。 それとも色鉛筆と帳面にしようか。 二三日前から、姉妹は部屋の隅で、 額を寄せてひそひそと相談してゐる。 なにかたいへんな企らみごと、 なにかすばらしいおもいつき? だが、なにごともなく日は過ぎて、 忘れたころになって、ママが見付けた。 玄関の上りがまちに竝べた学校鞄や 紐でしばった空箱や風呂敷包。 ひらいてみると、歯楊枝(ぶらし)。お手玉、着換え 人形など。 『こんなものどこへもってくの?』と、ママがきくと、 姉妹は 口を揃えて言う。 『ふたりで、旅行するの』と若葉。 『ゆく先は、ミュンヘン』と夏芽。 春(昭和43年1月「文芸春秋」) 孫の若葉にも、四度目の春がめぐってきた。月日は酷い。 春は身に痛い。寒椿と柊(ひいらぎ)の小庭の陽のあたる縁先に、 孫と爺(ぢい)とが日向ぼっこ。孫は左手で画をかいている。 爺はそばで、孫といっしょに日々成長する画を眺めて、 「大變だよ。この子は、いまに女ピカソになるよ」と 仰山な声で、まだ床のうえの、孫のばばに知らせる。 ばばもまたおろかで、孫がでたらめに木琴を叩くのを 女ヹートーベンになるなどと、眞顔で語る同類なのだ。 時代(昭和46年6月22日「京都新聞」) ふたりの孫がいる。 姉は若葉、妹は夏芽 どれも このごろの 木の萌えどきに生れた子だが、 ふたりの昼寝の姿をみると、 姉は ウルトラマンを抱き、 妹は 怪獸を抱いて眠る。 夢は 宇宙のどこを驅けるか? 彼女たちも やがては、 妻となり、母とならうが、 竹はのび、手まり花は咲く、 この自然はかわることはない。 たうとう。 やがて夏。姉は いるか、 妹はヨットを抱いてねよう。 この道(昭和49年11月3日「京都新聞」) 木犀のにおいのこめるこの道 やがて、しょぼしょぼと霙(みぞれ)ふるこの道 石塀と欅竝木のどこまでも続くこの道は むかしみたベラスケスの絵に似ているので 「ベラスケスの道」と名づけながら 一冊のノートをふところに挾んで 孫の若葉を乳母車にのせてあるいた。 そして、詩集「若葉のうた」ができた。 たかい欅には、尾長鳥がたくさんいて 庭のあおきの実や、無花果をつついた。 葉の落ちつくしたしめった土には とき折、うつくしい玉蟲の殼があった。 だが、もうそれも駄目、この道は いまは車地獄、むかうへ渡るのが命がけ。 跋(增補版によせて) 金子光晴 『若葉のうた』を補筆、改装して、もう一度出すことになった。『若葉のうた』は出した當時、世のたくさんな人たち、とりわけお母さんたちにたのしんでいただいた。それに比例して、むづかりやの批評家からは、『そんなわかりやすい詩を書いたら、權威が臺なしではないか』と叱責された。いづれも僕への親しみを通してのことなので、ありがたくうけ止めて置かねばならない。 しかし、詩が本來、人の心と心とをつなぐ言葉の藝術であり、この世界の理不盡をはっきりと見分けられるためのジムナスである以上、愛情を正常にとらえ、愛情のもつエゴイズムと、その無償性を示すことは、藝術、特にここでは詩のもつ重大な意義と僕は考えている。そのようなわけで、この『若葉のうた』は、僕にとって、單なる副次的なしごとではなくて、『鮫』や、『蛾』や『IL』『花とあきビン』と同列なしごとである。 最初に出した『若葉のうた』は、いまからほぼ十年ぐらい前に、朝日新聞の井澤淳氏からたのまれ、彼が編集していた『朝日文藝』誌上に、一年つづけて、毎月發表していた詩をあつめ、それに若干の補充をして一本にしたものであった。 その後も、孫の若葉について、機にふれて書きためておきたい念願をもちながら、なにとはなしに忙しい俗事にかまけがちになって、いや、それには、僕のなまけぐせもあって、雜誌などに發表したものもあった筈だが、どこへ發表したかもおもい出せず、從って手のとにはなく、新しい刊行につけ添えることができなかった。 しかし、その間に、若葉の妹夏芽がうまれすくすく大きくなり、ことしは若葉が小學校の三年生になり、夏芽も幼稚園の二年生にすすんだ。この姉妹のコンビは、我家の貧しい雰圍氣に、薔薇(ばら)の匂をふりまき、笑ひのリトムを添えている。ひろいあげる取材も數多いわけだが、祖父は、氣力がうすれ、祖母はまだ病身を、床に橫たえてくらしているという狀態で、はじめに考えていた續篇ができることもあてのないことなので、新しく增版されるこの機會に、二人になった孫たちをテーマにした、まだなまのままで、推敲(すいこう)の及ばない品物の一、二を添えて出すことにした。 いろいろこの本の世話をやいてくださった勁草書房の中島可一郎さんと、朝日の井澤さんに、ふかく感謝の志をささげる次第です。 昭和四十八年十一月すえ 詩集のあとがき 子はなんといっても母親についたもの。父親はともかく、祖父母となると、いまはやりの捨扶持の會社顧問といふほどのものだ。發言權もないし、實際にまかせられても、ゆく末までの責任がもてない。いくたびもおもふやうに、孫へのいとほしさは、別離のいそがしさのために先手を奪(と)られて、思慮をはづれた溺愛となる。他人(ひと)ごととしては、片腹痛くみてすごしてきたことが、じぶんの身のこととなると、平靜のつもりで、かいくれ目安のつかない始末になりがちである。煎じつめると、世渡りが下手といふだけで、なんの取り柄もない一老人の僕が、田をつくらずに人眞似の詩など、なんのたそくにもならぬと知りつつ、今日猶、あきらめもせず書きつづけてゐるふりあひから、考へてもみなかった初孫をさづかり、そのよろこびと、斷ちがたいきづなのできた不安とを、癡愚をさらけて詩らしいかたちにまとめあげ、同好のたがのゆるんだ爺〻婆〻連に、日向ぼっこをしながら披露する目的で、一冊に編んだ。むづかしい詩の世界、年若い人には、緣のない本だ。 もうろくすることは、老人にとっての、せめてもの愛敬である。老人の書いた、わが幼い日の記憶にもないことがらのあるこんな本を、成長した孫娘は、眼にふれたくないであらう。この本がそのときまで、のこってゐてほしくない氣持と、のこってゐてほしい氣持と、正直言って半分々々だ。 孫娘の未來は、あまり遠いので、僕にはかへってからんとしてゐる。日本はやっぱりそのときも、いまのやうな日本と變らぬかもしれないし、外觀は似てゐても別な日本になってゐるかもしれない。似ても似つかぬ別の日本が、別な顏をして平氣でまかり通ってゐるかもしれない。くらい日本か、あかるい日本かも想像がつかない。たとひ、この本がのこってゐても、そのときの若者たちには、ほんやくしてもらっても、書いてある內容が理解できなくなってゐるかもしれない。もちろん、それとは逆かもしれない。父や、母がゐれば、僕たち老夫婦のゐたむかし話が出るかもしれない。そのころは、今日よりましな時代になってゐるかもしれないし、また、別なあやまりを犯してゐるかもしれない。人間の調律師然たるしかつめらしい風貌の別の香具師どもが、どんな新手で、孤獨を怖れる小羊どもの群をかってにあやつってゐるか。もし、未來のカーテンをのぞくことができたら、それこそ運河をくだる船のなかから異國の景觀をはじめてながめたときの好奇心に千倍かけたおどろきであらう。だが、目かくしのままでゐよう。そこで、わが孫娘が、乳切り、火焙りになってゐる姿はみるに耐へられないし、僕らが折角こはしたつもりの貝殼のなかに、いつのまにかもどり住んで、陰濕の風土になれしたしんで、僕らもしたやうな、つなぎにすぎない生涯をつづけてゐるのをみることは、なおさらつらいからである。未來は、神からうばって貪慾な人間の手にある。やはり、伍子胥が兩眼をえぐりとって、城壁の外にかけ、じぶんの死後の國のなりゆきを見たいと言ったやうに、僕も、慘忍を忍ぶのも、じぶんの生きたその先を見屆けたいと願ふのが、本(ほん)のことだとおもふ。だが、この眼が、かすんでは、それもおぼつかない。 LOUANGEに終ってしまっては、われながらすこしだらしのないことだとおもふが、いまの僕は、『若葉』の信徒でしかないので、信徒にとっては、禮讚より他の仕樣はない。小兒をレントゲンにかけたり、小刻みにさいなんで生態を記錄したりといったことは、休養のいまの僕には、趣旨にたがふことでもあるし、そんなしごとからはなるたけ氣持を遠ざけてゐたい。養生の東洋風なエゴイズムからも、せめてこのへんのリリシズムが甘くて口にあふのである。三千代おばあちゃんも、おなじおもひらしく、これもむかしとった杵柄(きねづか)で、一、二篇の詩をつくって唱和したいなどと言ひつつまにあはなかったが、本來、こんな仕事は、彼女の方にむいてゐるのだ。第一、生涯に一度も日記をつけたことのない僕とちがって、彼女は、『若葉』の生れた日からのことを毎日ノートに書き、大小のことを女らしいこまかさで、みな失はずにおぼえてゐて、僕をおどろかせる。藤原の道長が、その五男の教通が和泉式部の娘小式部に生せた孫をいとほしんで、和泉におくった歌 よめの子の子ねづみいかがなりぬらん あなうつくしとおもほゆるかな といふ一首を彼女がとりあげて、初孫のいとほしさを同感した小文を、どこかに書いてゐるのをよんだ。二十年近く起き伏(ふ)し不自由な足枷のもどかしさから、孫に對する愛情を一層せつなくしてゐる心境を彼女はそこでのべてゐた。日記は、激しい感情をつとめて殺してゐるだけに實感が迫り、全文をのせたい衝動に驅られるが、一、二ヶ所、うかと心をとりはづしたやうにみえる箇所をひいてみることに止めよう。 一月二日(昭和四十年) 今日もあたたかでなごやかな正月。ひとりおくれて起きていってお雜煮、祖父が八幡神社から買ってきた破魔弓をかかえて、若葉は、ママに抱かれて、バパに寫眞をとってもらう。若夫婦はそのまま、若葉をつれてお年賀にでかけ、祖父のところへは、年賀の客人。ひとり茶の間の切炬燵でこの日記をつけている。ひとりになると、じぶんしかいない、張合いない風景がひろがり、そのなかをさまよう。木の葉が一枚ものこっていない枯林のなか、暮れかたのしろっぽけた海邊、ふりかえるとじぶんの足跡の一つものこっていない砂濱。いつから、わたしは、こんな風景ばかりを選り好んで、そのなかにひとりをとじこめることになったのだろう。平安の人たちが感じたと思えるような運命のリズムの謀略めいたものをわたしも感じて、避けられない滅却の兆が、遠いむかしからはじまっていたことをさとらずにいたじぶんに、なによりも腹立たしさをおぼえてきたものだ。この風景に迷いこんだものは、鎭靜劑の利かない病人のように、苦しんでもがいて、へとへとになるまで、彷徨して、疲勞のあげくの昏睡狀態にしか救いがもとめられないのだ。救いとは言えない。 家のなかで、あかん坊の泣聲、威勢のいい、それでもやさしみのある女のあかん坊の聲がきこえるようになってから、ただ、それだけのことで、いつのまにか、わたしはあの淋しい風景からぬけだすことができたとおもっていたのに、一日のうちのほんのしばらく、あかん坊が家のなかにいないというだけで、荒寥とした風景は、一層、そのむしばみをひろげてみせる。 一月六日、雪、のち晴れ。 雪は、一寸ぐらい積った。おとめ椿の葉の一枚ずつに雪がのっているのが、寢床のなかからみえて、可愛らしい感じがした。それも、あかん坊に對するいとしさが移るためかもしれない。息子は、しごとはじめで出勤し、わたしが昨日の氣分わるさがうすらいでいるようにおもえて、起上ってみた時分には、もういなかった。起きてガラス戸越しにみる庭の雪は、おおかたとけて、木々の下の地面のところどころにしかのこっていない。故實叢書の輿車圖考を眺めて一日をすごす。このごろは、しごとのあせりも消えて、なんのためということを度外にして、日々から、たのしさを拾うことだけで滿足な、若い勉强氣分をとりもどしたここちだ。夜、若葉の下顎の乳齒がはっきりみえてきたと、登子(たかこ)ちゃんがしらせにくる。今朝のうちはまだ、ほんの先っぽだけが白くのぞいていたが、たった一日のあいだに、はっきり齒のかたちがあらわれてきたのだという。春の植物の芽生えの生長のはやさとおなじだ。成育の姿をみることが、この頃では、引きあてたわが悲運を忘れさせてくれるよろこびの素なのだが、そのよろこびにあざむかれて、われとわが滅却のよろめく足並みに氣付かないのは、考えたり書いたりする人間として失格のようにおもわれるのだが、どうなのだろう。いや、氣付かないわけではない。頭を撫でたり、頰ずりをしたりするにも、第三者に手をかしてもらわ/はなくてはできないばかりでなく、小猛獸のように、小さな爪で、手や足をおもしろがってひっかきにくるのをふせぐこともできない非力では、どんな愛情も示すよしがなく、なにものもプラスしてやれないことで、成長がますます距離をへだててゆくことになりそうで氣が氣ではない。 『若葉』には、もう一人おばあちゃんがゐる。ママの母親で、『若葉』は、一年に一度パパの夏休み中に、秋田まで出かけてそのおばあちゃんに會ふことになってゐる。ママの兄の隆明君が秋田にゐるからだ。隆明君も筆の人で、鄉土の出身の黃表紙作家・朋誠堂喜三二のことなどもくはしくしらべてゐる篤學の士でもある。そちらにも、三千代・林太郎の二人の孫がゐて、ゆく末『若葉』の仲間になることだらう。つきあひに選り好みの多かった僕のことなので、現在となっては、少數の友人も死に、親戚も近よらず、おばあちゃんも病氣、ママのさとの秋田も遠く、にぎやかな環境ではないが、それだけにまた、『若葉』を中心に、こころをあつめて、これから生きる人間と、ぬけがらになってゆく人間とが、あやふいバランスをとりながら、足らずがちな、辻褄のあはない奇妙な日々をすごしてゐる。時代が永遠の過渡期であるやうに、このあつまりも過渡期である。『若葉』の頭のうへの青空にだけ、白い雲がういてゐる。家のものみんなのLOUANGEを、そこで僕が、代表して書いたといふわけだから、いくら僕のふところをのぞいてみても今日は、あやかしや仕掛けはなに一つもってきてゐない。できるならば、いっしょに、孫ぼけになってよんでほしい。おぼえある世の尉姥たちだけでもいい。 丁未の歳三月 金子光晴
说明 · · · · · ·
表示其中内容是对原文的摘抄