禿髮
- 章节名:禿髮
又いかなる賢王聖主の御政も攝政關白の御成敗も世にあまされたるいたづら者などの、人のきかぬ處にてなにとなうそしり傾け申事は常の習なれども、此禪門世ざかりの程は聊いるかせにも申者なし。其故は入道相國のはかりごとに十四五六の童部を三百人そろへて、髮をかぶろにきりまはし、あかき直垂をきせて、めしつかはれけるが、京中にみち/\て、往反しけり。自ら平家の事あしざまに申者あれば、一人きゝ出さぬほどこそありけれ、餘黨に觸廻して、其家に亂入し資材雜具を追捕し、其奴を搦とて、六波羅へゐてまゐる。されば目に見、心に知るといへども、詞にあらはれて申者なし。六波羅殿の禿と云ひてしかば、道をすぐる馬車もよぎてぞ、通りける。禁門を出入すといへども姓名を尋らるゝに及ばず、京師の長吏これが為に目を側むとみえたり。
此一节与史记卷四周本纪周厉王部分对看
王行暴虐侈傲,国人谤王。召公谏曰:“民不堪命矣。”王怒,得卫巫,使监谤者,以告则杀之。其谤鲜矣,诸侯不朝。
29人阅读
说明 · · · · · ·
表示其中内容是对原文的摘抄