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僕の場合はそれはリズムなんです。呼吸と言い換えてもいいけど、感じとしてはもうちょっと強いもの、つまりリズムですね。だからリズムということに関しては、僕は場合によってはテキストを僕なりにわりに自由に作りかえます。どういうことかと言うと、長い文章があれば三つに区切ったり、三つに区切られている文章があったら一つにしたりとか。ここの文章とここの文章を入れ換えたりとか。 なぜそれをするかというと、僕はオリジナルのテキストにある文章の呼吸、リズムのようなものを、表層的にではなく、より深い自然なかたちで日本語に移し換えたいと思っているからです。英語と日本語のリズム感というのは基礎から違いますし、テキストの文章をそのままのかたちで訳していくと、どうにも納得できない場合がある。そう感じた場合は、僕の独断でつなぎ換えたりします。そのことに関しては「直訳派」とは言い切れないところがあるかもしれない。そのかわり、それ以外のレトリックとかボキャブラリーとか、そういうことに関してはテキストに非常に忠実にやりたいと。だがら僕が皆さんに言いたいのは、ここだけは譲れないと、でもあとはしっかり譲りますと、そういうポイントを摑むといいんじゃないかなということです。そんなに単純に「直訳派」「意訳派」と区切れないところはあまります。厳密に言えば。 村上一开始说自己是直译派,一个句子对应一个句子,但是转过头又说文字的节奏对他而言最重要,而英语日语的节奏感从根基上就不一样,所以他自己翻译的时候三句并一句、一句拆三句、调换句子顺序之类的情况也常有发生。
柴田教授说村上在译卡佛的时候就常有这种情况,村上说那是因为自己非常熟悉卡佛的作品,甚至如自己的血肉一般,所以自信这样的译法更正确。总的来说还是要有爱,爱得越深,理解得越深,就有借口任性(大误)。
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