分け入つても分け入つても青い山

好喜欢山头火的浪人俳句,喜欢到好想学日语去读一读原文里的意境。
托钵行脚僧,天涯沦落人,他的俳句,好似凄苦的呢喃、孤寂的哽咽,却每每被其困顿的美感打动。
前几日和朋友讨论日本的诗和我国的诗,我说若是比诗的壮观与大气那当然没有可比性,而日式的美感恰恰是在华丽的对面,一种欲言又止的悲歌曲调,如谷崎润一郎所说的“阴翳礼赞”。
我在想山头火的形象,一个衣衫褴褛天地为家的老人,讨米讨酒为生,时常食不果腹衣不覆体,故乡以无从归去,前途只是未知的迷惘,一个被天地弃之不顾的旅人,独自书写着青山溪水、和风枯草。
部分俳句摘录如下:
水中掠影,一旅人
水に影ある旅人である
行不尽,行不尽,一路青山
分け入つても分け入つても青い山
滑倒复跌倒,山无声
すべつてころんで山がひつそり
只此无为身,且前行
どうしようもないわたしが歩いてゐる
滴雨声中,听暮年
雨だれの音も年とつた
背影渐远,秋雨中
うしろすがたのしぐれてゆくか
赤足行,雨中是故乡
雨ふるふるさとははだしであるく
我自归来,月影中
月かげのまんなかをもどる
翻飞看麻雀,落散蒲公英
すずめをどるやたんぽぽちるや
今日稀无客,尚有萤火虫
けふもいちにち誰も来なかつたほうたる
无家可归时,秋渐深
家を持たない秋がふかうなるばかり
旅途多随意,雨中任我行
わがままきままな旅の雨にはぬれてゆく
等否?行否?野草上,皓月明
待つでも待たぬでもない雑草の月あかり
月色蚊帐影,似有谁人来
蚊帳へまともな月かげも誰か来さうな
午睡一觉醒,环视皆青山
昼寝さめてどちらを見ても山
樱花悄绽放,逢别两倏然
いつとなくさくらが咲いて逢うてはわかれる
燕子来回飞,草鞋一旅又一旅
燕とびかふ旅から旅へ草鞋(わらじ)を穿く
水声时远近,本是自在行
水音とほくちかくおのれをあゆます
供上乌冬面:母亲啊,儿亦食一碗
うどん供へて、母よ、わたくしもいただきまする
咳难休,却无捶背手
咳がやまない脊中をたたく手がない
求得温水归,手捧莫倾覆
もらうてもどるあたたかな水のこぼるるを
只余剩米慢慢煮,一阵雨
しぐるるやあるだけの御飯よう炊けた
别离后,每日雪
わかれてからのまいにち雪ふる
故乡辄入梦,涛声缓缓来
波音おだやかな夢のふるさと
此桥一渡更不归,长风复长风
ふたたびはわたらない橋のながいながい風
吃尽化来一把米,日日如是旅
一握の米をいただきいただいてまいにちの旅
以往,将来,映雪明
こしかたゆくすえ雪あかりする
行事似父日,父已不在世
だんだん似てくる癖の、父はもうゐない
云涌起,白云涌起,我步向白云
もりもりもりあがる雲へ歩む
浊水若长流,自清澄
濁れる水の流れつつ澄む