「いき」の構造 短评

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  • 1 丁萌 2016-01-25 20:07:41

    全書を「方法論」と「概念的分析」とをはっきり分けうるということに疑わざるをえない点がある。つまり編者の提出したとおりに、もし九鬼のパリで書き上げた草稿はフッサールの本質直観という方法論を唱えたのであれば、田辺のハイデガー論文を読んでから、今度は「解釈学」へ改めた方法論が単に「方法論」についての唱え方のうえでの一種の「転向」であり、要としての「いき」に対する分析に何らの影響をも与えないのではないか。さらに、そうであるとしたら、どんな「方法論」を提唱しようとしても、内容的からすると「概念的分析」はただの一人歩きではないであろうか。この難点を最も著している症状は、「後記」で九鬼は認めている「概念的分析」の「ありのままの」乃至「現実」との食い違いに相違ない。

  • 0 水食 2016-10-30 18:20:54

    正好之前读的海德格尔里提到,也是日本哲学的代表作之一,是该一读。简洁,明晰,亲民。充满江户风情的审美观“いき”,只可意会,不可言传,但仍可以通过本书的努力使其明确化,唤起日本民族对其独特美感的“自觉”。

  • 1 Ridoru 2023-11-23 19:45:52 北京

    可能因为我是学外语的,所以很喜欢这种从一个特殊的单词出发来解释一个民族的民族性和文化的观点。语言是存在的家,正是各个民族有不同的生存体验,所以才会有很多像「いき」这样无法直译为其他语言的词语~但可以,哲学造诣不是很深,九鬼的方法论和理论支撑论述看得很蒙,后面的详细解说也一知半解,是时候开启胡塞尔和海德格尔的阅读大门了。只不过,希望不要被虐得太过惨烈:)

  • 0 一笑皆春 2022-05-01 09:26:07

    「いき」とは:「運命によって〈諦め〉を得た〈媚態〉が〈意気地〉の自由に生きること」。日本文化を特色つけている(武士道に由来する)道徳的理想主義(意気地のこと)と(流転、無常を差別相の形式と見、空無、涅槃を平等相の原理とする)仏教(世界观)に由来する)宗教的非現実性(諦めのこと)との形相因によって、質量因たる異性への媚態が自己の存在実現を完成したもの。武士道不惧死亡的<意用地〉背后是对死亡的〈谛观〉。两者作为<无力与超力〉的关系是表里一体、唯一不二的。無限の自己超克としての意気地もあきらめも、無の構造を前提。諦めとは、あっさり、すっきり、蕭洒たる心持ち。世智辛い、つれない浮世の洗練を経て、すっきりと垢抜けした心、現実への独断的執着を離れた瀟洒として未練のない恬淡無碍の心

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