目次 / p5
序論-東アジア諸民族の国家形成における楽浪郡の歴史的位置 / p1
第一編 楽浪郡設置と高句麗の国家形成 / p9
第一章 東アジアの諸国と人口移動 / p11
一 問題の所在 / p11
二 楽浪・帯方郡と東アジア / p12
三 五胡十六国と高句麗国家の展開 / p19
四 高句麗の南下と百済・新羅の国家発展 / p29
五 結語-朝鮮諸国の抗争と倭 / p34
第二章 穢族の生業と民族 / p39
一 問題の所在 / p39
二 穢族の研究動向と視座 / p40
三 穢族の生業 / p42
四 穢族の習俗 / p49
五 結語-穢族の位置づけをめぐって / p56
第三章 『梁書』高句麗伝と東明王伝説 / p63
一 問題の所在 / p63
二 『梁書』高句麗伝の史料的性格 / p64
三 東明王伝説と朱蒙伝説 / p74
四 高句麗の夫余出自説 / p79
五 結語-『梁書』高句麗伝の史料的位置 / p84
第四章 高句麗の建国伝説と王権 / p93
一 問題の所在 / p93
二 伝説の構造とモチーフとしての外来王 / p94
三 美川王即位紀の分析 / p101
四 美川王と高句麗王権 / p104
五 結語-高句麗王権と夫余族 / p108
第五章 高句麗泉蓋蘇文の政変について / p113
一 問題の所在 / p113
二 クーデターの時期 / p114
三 泉蓋蘇文の実像 / p117
四 クーデターの誘因と目的 / p121
五 結語 / p126
第二編 新羅国家の史的展開 / p131
第六章 蔚珍鳳坪新羅碑の基礎的研究 / p133
一 問題の所在 / p133
二 碑文の釈文 / p134
三 立碑年次と碑文の構成 / p136
四 「居伐牟羅」の所在地 / p143
五 碑文の分析と解釈 / p147
六 立碑の目的 / p156
七 結語-碑文発見の歴史的意義 / p161
第七章 新羅六停の再検討 / p173
一 問題の所在 / p173
二 六停の将軍 / p176
三 六停軍団の規模と存立基盤 / p187
四 結語 / p202
第八章 新羅僧・慈蔵の政治外交上の役割 / p211
一 問題の所在 / p211
二 慈蔵の関係史料とその事蹟 / p212
三 慈蔵の帰国と新羅の動向 / p222
四 九層木塔の建立と新羅の秩序世界 / p228
五 結語 / p235
第九章 新羅中代の国家と仏教 / p241
一 問題の所在 / p241
二 仏教統制機関 / p242
三 中代の仏教関係官司 / p246
四 皇龍寺と中古の仏教 / p257
五 結語 / p262
第一〇章 新羅兵制における浿江鎮典 / p271
一 問題の所在 / p271
二 浿江鎮典の組織とその統轄区域 / p272
三 新羅兵制における浿江鎮典の位置づけ / p278
第三編 東アジア諸国の国際関係 / p285
第一一章 高句麗と日隋外交-いわゆる国書問題に関する一試論- / p287
一 問題の所在 / p287
二 高句麗の対倭外交の開始時期とその契機 / p290
三 高句麗の国際環境と外交戦略 / p294
四 国書の分析 / p297
五 日隋外交と高句麗 / p303
六 結語 / p306
第一二章 正倉院所蔵新羅氈貼布記の研究-新羅・日本間交易の性格をめぐって- / p315
一 問題の所在 / p315
二 新羅氈貼布記の解読 / p316
三 新羅の毛氈生産とその社会的背景 / p331
四 毛氈伝来の過程と新羅・日本関係 / p342
五 七五二年の交易の性格 / p357
六 結語 / p366
第一三章 八世紀新羅・渤海関係の一視角-『新唐書』新羅伝長人記事の再検討- / p381
一 問題の所在 / p381
二 方善柱説の検討 / p382
三 長人記事の典拠 / p385
四 長人記事の分析 / p390
五 新羅の東北辺と異人 / p399
六 結語 / p402
第一四章 渤海の対日本外交への理路 / p407
一 問題の所在 / p407
二 前期対日本外交の性格とその背景 / p408
三 後期対日本外交の性格とその背景 / p413
四 渤海の対外通交と五京・五道 / p419
五 結語 / p423
あとがき
索引 / p1
· · · · · · (
收起)
0 有用 ▜▝▖▜ ▖▗▝▝ 2019-02-24 21:14:46
李成市这代算是日本朝鲜史(古代部分)研究的“看坟人”,他们老师的时代有过辉煌也有过批判,但如今只剩下再检讨和强解释。李氏的行文又相对松散,重复很多,韩语思维明显,且多半论述难以起到拱卫核心观点的作用。
0 有用 Whatever 2021-01-01 21:51:03
纵贯东亚的论文集,从乐浪谈到新罗日本与渤海,大量的“现象”系于当时的国际关系和国内政局。