豆瓣
扫码直接下载
本書は『日本の女優』という書名で2000年に小社から刊行されましたが,このたび『李香蘭と原節子』と書名を変更し,この10年余の研究成果も織り込んで加筆と改訂を施したうえで,『李香蘭と東アジア』(四方田犬彦編,東京大学出版会)所収の「李香蘭と朝鮮人慰安婦」という論稿も収録した新編集版として刊行させていただきます.
日本映画史上に燦然と輝く二人の女優は奇しくも1920年の同年生まれです.読者の皆様も数々の映画作品の中で,この二人の姿をまざまざと記憶されていることと存じます.ただ,本書では懐古趣味や神話化とは明確に一線を画して,映画史の書物として二人の女優を取り上げています.それでは,どのような視点から考察されているのでしょうか.ジェンダーと植民地主義,ファシズムとナショナリズムに二人がどう向き合っていたのか,身体とその表象にかかわって,二人は観客からいか...
(展开全部)
日本映画史上に燦然と輝く二人の女優は奇しくも1920年の同年生まれです.読者の皆様も数々の映画作品の中で,この二人の姿をまざまざと記憶されていることと存じます.ただ,本書では懐古趣味や神話化とは明確に一線を画して,映画史の書物として二人の女優を取り上げています.それでは,どのような視点から考察されているのでしょうか.ジェンダーと植民地主義,ファシズムとナショナリズムに二人がどう向き合っていたのか,身体とその表象にかかわって,二人は観客からいかに受けとめられていたのかが重視されているのです.その意味で,本書では従来の女優論では迫りえなかった角度からの考察がなされているといえます.
原節子の場合,高雅にしてヨーロッパ的美貌を喧伝され,大学教授の娘や没落貴族の令嬢を演じ続けてきましたが,敗戦を契機にして軍国の女神から民主主義の女神へと急激な変身をとげていくわけです.
李香蘭の場合は,日本の中国侵略を背景にして,日本植民地の現地女性を演じ続け,戦後はハリウッド,香港へと,国境と言語を超えて活動していきます.さらにはパレスチナ報道から政界へと転身していったように,絶えず自己の再神話化を図っていくことに意欲的な半生でありました.それは1962年以降,表舞台から忽然と姿を消してしまった原節子の軌跡とはあまりにも異なるものでありました.
本書はこの二人の軌跡を,主要作品の詳細な分析をふまえて,たどっていくのです.決して理屈っぽい本ではなく,二人の作品に愛着を持たれてこられた映画ファンの方に,そしてこれから当時の映画を観てみようという方に実に興味深い内容になっています.たとえば原節子についても,あまりにも頻繁に言及される小津作品との関わりだけでなく,戦前・戦中期の動向,戦後の主要作品における女優論として緻密に描かれていることをご紹介しておきましょう.本書は女優論として出色であり,映画史として斬新な内容になっていますので,ぜひご一読いただきたいと思います.
編集部からのメッセージ
日本映画史上に燦然と輝く二人の女優は奇しくも1920年の同年生まれです.読者の皆様も数々の映画作品の中で,この二人の姿をまざまざと記憶されていることと存じます.ただ,本書では懐古趣味や神話化とは明確に一線を画して,映画史の書物として二人の女優を取り上げています.それでは,どのような視点から考察されているのでしょうか.ジェンダーと植民地主義,ファシズムとナショナリズムに二人がどう向き合っていたのか,身体とその表象にかか...
著者紹介
四方田犬彦(よもた いぬひこ)
1953年西宮市に生まれる.東京大学人文系大学院博士課程修了.専攻は比較文学・比較文化.コロンビア大学,ボローニャ大学,テルアヴィヴ大学等で客員研究員・教授を転々とし,現在は明治学院大学教授として映画史の教鞭を執る.主著に『大島渚と日本』(筑摩書房)『「七人の侍」と現代――黒澤昭 再考』 『ソウルの風景――記憶と変貌』(岩波新書)『アジアのなかの日本映画』 『映画史への招待』(岩波書店)『見ることの塩』(作品社)等.『日本映画は生きている』全8巻(岩波書店)を編集.サイード,ダルウイッシュ,パゾリーニの翻訳がある.
四方田老师真的好会写,有干货的研究者不少,写出趣味来的真心不多。
> 更多书评 1篇
> 2人在读
> 4人读过
> 24人想读
订阅关于李香蘭と原節子的评论: feed: rss 2.0
0 有用 沈念 2018-05-26 01:36:27
四方田老师真的好会写,有干货的研究者不少,写出趣味来的真心不多。