占星術、超能力研究、東洋医学、創造科学。これらはなぜ「疑似科学」と言われるのか? はたして疑似科学と科学の間に線は引けるのだろうか。科学のようで科学でない科学を考察することで、「科学とは何か」を解き明かす。
「科学とは客観的な営み」などという神話を信じている人は、本書にまずショックを受けるだろう。「科学と疑似科学」など簡単に峻別できると考える向きは科学者にも多いが、この問題を安易に考えていると足をすくわれるという例がどんどん出てくるからだ。科学もやはり人間の営みであり、豊かな境界領域をもつ。そこに単純な二分法を当てはめようとするから、「迷信でないなら科学だ」という話になってしまう。それらしい実験を見せられて一転超能力を信じてしまうなどというのは、そういう科学者のナイーブさのゆえだ。といって「絶対的な科学も非科学もなく、すべては社会により決まる」なども暴論であろう。
本書は科学哲学の本だが、占星術や超能力といった身近(?)な例をベースにしているため親しみやすく、そこはかとないユーモアも漂っているところがいい。……「疑似科学」を否定できなくて悩んでいる科学者だけでなく、「疑似科学」さらには「相対主義」についてのスタンスを決めかねている多くの人、さらには「疑似科学」を信じている人にぜひ読んで欲しい本である。【坂村 健氏】 --「朝日新聞」(03年3月9日)書評欄より
私の仕事――精神療法――は疑似科学に近いところにあるものだから、ちょっとドキドキしながら読めた。精神療法の世界で一番説明的なものと言えば精神分析だろう。そもそも、精神分析は正統的科学に受け入れられているから、「精神分析の仮定する心の深層構造はぎりぎり科学の側に分類されるだろう」って著者はいうけど、あやしいもんだと素人は思う。すべてのことを説明できる理論はおかしいと、科学哲学者に文句言われてもしかたないわね。
……結論としては、この二つの間に人が思うほどハッキリと線は引けないということらしい。でもそこであきらめてないのが哲学者のえらいところだ。どうはっきりしていないのか考察が進んでいく。それでも疑似科学が正統的科学にくらべ、「なんだかずるい」印象を与えるのがなぜなのか、とか。梅酒には梅酒なりの節度が必要だ、と非哲学的に私は思う。【小西 聖子氏】 --「毎日新聞」(03年1月19日)書評欄より
……進化論と対立するキリスト教創造科学。天文学の母体となり今も生きつづける占星術。超能力の存在を証明しようとする超心理学。鍼治療やホメオパシーなどの代替医療。それらはなぜ正統科学と認められないのか。発表以来長らく認められなかったウェゲナーの大陸移動説は、なぜ科学に昇格できたのか。現在の哲学業界に林立する二十以上の学説を総動員して科学―疑似科学の線引き基準を探ってゆく論述は壮観にして明晰、スリルに満ちている。
……オーソドックスな啓蒙性、適度にくだけた文体、鮮やかな実例、豊富な文献表。「良書」とはまさにこのような本のことを言うのだろう。【三浦 俊彦氏】 --「読売新聞」(03年1月19日)書評欄より
0 有用 非行少女神乃襞 2019-07-14 14:25:43
正儿八经的学者,正儿八经的研究