ドローイングする至福の時間
私は20年くらいの長い期間、自分自身の「夢と記憶」を執拗に記録したことがあった。 1万枚近く描き散らした残骸は、埃にまみれたまま、今も仕事場の倉庫の片隅にうず高く積まれている。いつのまにかそんな記録作業にも飽きてしまい、放置したままの「夢と記憶」の痕跡を再検証することもなく、日々が過ぎていった。今頃になって気がついたのだが、その時点では無意味とおもえた記録のドローイングは、私のストレス解消や精神の開放にすごく役立っていたように思うのだ。描くことによって精神的ストレスが軽減するなんて考えもしなかったのである。いつも決まった時間、自宅の小部屋に籠って自由に絵筆を動かしていたことが、私の日常生活全般に大きく影響していたし、日々の創作の重要な起爆剤になっていたのである。 現在の私にとっても、ドローイングすることは至福の時間である。日常の仕事においては、ほとんどの場合、いくつもの制約があったり、テーマにそって進めなければならないなど、描く楽しみがどんどん遠ざかってゆくような気がする。私にとってドローイングすることは食べることと同じことかもしれない。色鮮やかな食卓をながめながら、空腹が満たされてゆく時のなんともいえない満足感と幸福感、ちっぽけな悩みなど一瞬にして消し飛んでしまう。 筆から放たれた線描は、私の意志とは関係なく空間を自由自在に飛翔し、想像外の展開をみせるのである。目の前に散乱した多彩なドローイングをみていると、御馳走のならんだ食卓をみているような幸せな気分になる。 田名網敬一
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