「双葉70連勝ならず!」.昭和14年1月15日,NHKラジオで双葉山と安藝ノ海の歴史的な大一番を実況放送していたのは,和田信賢.彼は自分の仕事を「瞬間芸術」とよび,常に放送仲間の話題の中心だったが,27年ヘルシンキ・オリンピックの放送を終え帰国の途上,パリで客死した.あこがれの伝説的アナウンサーの傑作評伝.
■本書「あとがき」より
私はNHKに入局以来,信賢の生涯は誰かがそのうちにきっと書くだろうと思っていた.二十五年間それを待った.さまざまな伝説や憶測の飛び交う中で信賢もあの世でじっと待っていた.しかし,誰も書いてくれなかった.私は五十歳になろうとしていた.
信賢が逝ってから三十年になろうとしていた.信賢を知る人も,彼を語る資料も年ごとに減少しつつある.急がなければならない.不適任だが私はとうとう筆をとってみる気になった.
私はナマの信賢には一度も会ったことはない.それなのに何故かいつも,ふっと心の中に浮んでくる人物だった.目に見えぬ不思議な糸が私と信賢を結びつけて離さないのである.多分それは,信賢への「あこがれの糸」ではなかったかという気がする.
大ぜいのすぐれた先輩たちが放送の歴史を彩ってきた中で,かほどまでに私を魅きつけて離さない和田信賢は,どのような生い立ちで,どんな生き方をした人物だったのか,私は知りたかった.(中略)
信賢は,ともすれば古きよき時代のカリスマ的存在と見られがちだが,そうでなく,時代の要求するものをいつでも取り出せる不易流行のセンスがあったという点で,単なる昔のアナウンサーではない.
信賢は自分の仕事に「瞬間芸術」という表現を使ったのだが,その通り,彼は身の廻りのことをひとつひとつ一瞬の燃焼に賭けた.そして,ヘルシンキ・オリンピック特派員として渡欧の帰途,パリで劇的な死を遂げた.わずか四十歳,まさに生涯までが瞬間芸術だったという気がしてならない.
生きていれば,言いたいこともいっぱいあったであろう.そのことを想いつつ,私は手さぐりで書いていった.天国で,信賢が口ぐせだったという,
「そう,そう,そうなんだよ」
と,うなずいてくれることを祈りながら…….
岩波現代文庫 文芸73
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