【序章より】(抜粋)
唐王朝の軍事力は、府兵制という一元的なシステムのみでは捕捉できないさまざまな性格・出自を持つ者たちによって重層的に形作られているということに気がつく。それは唐が、少なくともその前半期においては、多元的な構造を有する「帝国」であったこととも深い関係があるだろう。その最大の特色とされる「国際性」や「帝国的支配体制」とはどのような構造を持ち、それはどのような装置によって機能していたのか、本書が目指すのはその解明である。そして軍制に限っていえば、国の根幹をなす軍事力とはいかなるものであったのか、という問題については、これまで捨象されてきた近衛兵たち、すなわち北衙禁軍の存在こそが新たな手がかりを与えてくれるのではないだろうか。(中略)本書は、以下の二部構成をとる。まず第Ⅰ部「前期北衙の誕生と宮廷政変」では、唐代前期において 北衙という軍事組織がどのように発展したのかという問題を、それと密接に関わる宮廷政変と馬政とい う切り口から考察する。続いて第Ⅱ部「変貌する北衙と安史の乱」では、唐王朝を大きく変貌させた安史の乱を念頭に置きながら、北衙は王朝のなかでどのような機能・役割を負っていたのかという問題にアプローチする。
第一章では、北衙を検討するための題材として、従来、唐代前期の宮廷政変としては太宗の「玄武門の変」に比して注目度の低かった五つの宮廷政変を取り上げる。玄武門の変とそれ以外とでは「北軍」の中身が異なるという問題についてはこれまであまり重視されてこなかった。すなわち、玄武門の変にはなく、そして残りの政変に共通する要素として、「北衙」と称される軍団の関与が認められるという点である。本章では、宮廷内の政治運営と北衙との関係性という視点から五度の政変を追跡し、唐代前期宮廷政変のセオリーを明らかにする。
第二章では、唐代前期における北衙の成立と展開を跡づける。北衙という制度の変遷過程を明確にするとともに、その変遷が宮廷政変とどのように影響しあったかという点をクローズアップしてみたい。
第三章では、騎馬軍である北衙とその馬との関係に注目する。閑厩と閑厩馬の様相を明らかにしたうえで、厩舎の体制の推移とそこで養われる馬の運用とが北衙の体制にどのように波及したかを考察する。
第四章では、前章で見た閑厩馬の運用に関連して、その根底にある閑厩への馬の供給方法について検討を行う。閑厩馬の大多数は、地方の監牧から選別され京師に「上納」されてくる良馬である。閑厩馬を含む京師で飼養される官馬(厩馬)を中心に唐王朝の馬の管理体系を把握し、「天聖令厩牧令」の条文によって馬の選別システムを解明するとともに、地方から中央への馬の上納を分析する。
第五章では、前期北衙のうち、玄宗との密接な関係性を軸に隆盛を極めた左右龍武軍に焦点を当てる。龍武軍が唐の北衙禁軍史にどのように位置づけられるのかを考察するとともに、安史の乱後に登場する神策軍以外の後期北衙の様相を描く。
第六章では、北衙の駐屯地でもある唐長安城の禁苑に焦点を当てる。長安城の禁苑と北衙との軍事防衛上の関係と、皇帝近衛兵の長安市中での活動形態を追いかける。
第七章では、北衙と蕃将との関係に迫る。蕃将と北衙との関係を掘り下げることで、多民族複合国家としての唐王朝がそれを維持するために用いたシステムを解明する。
第八章では、唐という国家を根底から揺るがした安史の乱とは何であったか、という問題を扱う。従来、唐国内の問題に矮小化されがちであった戦乱勃発の背景やその本質は、当時の東ユーラシアの国際情勢を視野に入れたうえで描き直されなくてはならない。本章では、その点を踏まえて安史の乱の構造を再検討する。
2 有用 隐清 2025-01-11 00:08:07 上海
蒙曼著作的推进,在马政、蕃将、宫城研究方面补充很多。北衙形成与“太原元从”无关,源于太宗私兵“北衙七营”,贞观中“左右屯营”(“飞骑”)正式设立,仍隶属南衙,从中选出侧近护卫“百骑”;高宗武后时,北衙独立,改为“左右羽林军”并设置大将军,百骑扩增为“千骑”,中宗时又扩为“左右万骑”;玄宗即位,万骑升格为“左右龙武军”,唐元功臣子弟多在龙武军,与左右羽林军称为“北门四军”。闲厩使、飞龙使与监牧对接,... 蒙曼著作的推进,在马政、蕃将、宫城研究方面补充很多。北衙形成与“太原元从”无关,源于太宗私兵“北衙七营”,贞观中“左右屯营”(“飞骑”)正式设立,仍隶属南衙,从中选出侧近护卫“百骑”;高宗武后时,北衙独立,改为“左右羽林军”并设置大将军,百骑扩增为“千骑”,中宗时又扩为“左右万骑”;玄宗即位,万骑升格为“左右龙武军”,唐元功臣子弟多在龙武军,与左右羽林军称为“北门四军”。闲厩使、飞龙使与监牧对接,管理禁军马政。太宗、高宗时,蕃将多为突厥系领民酋长,任南衙将军之职事官,实际的北衙官职无官品;高宗以后,无部落民的朝鲜系蕃将增加,多任职于北门宿卫的左右羽林军,但随着皇帝亲卫军(也是历次政变主力)——千骑、万骑、左右龙武军势力不断上升,羽林军的蕃将与中央联系下降,玄宗时才有重用蕃将为外镇节度使。 (展开)
0 有用 长上 2024-12-10 15:21:11 湖北
就是对赵雨乐《唐前期北衙的骑射部队》一文的细化。她对核心史料的梳理非常清晰。缺点在于,新材料的引用较少。观点基本上都是基于赵雨乐和蒙曼的书。
0 有用 某某佳哇 2026-01-13 16:44:35 湖北
缺点是杂乱不成系统,爱造概念和定义。对北衙禁军发展的研究,只是在赵雨乐、蒙曼基础之上有所整合,推进有限。写马印记一篇最佳,最上等印飞+三花入闲厩,次印飞+飞杂给闲厩,次印飞+风杂给尚乘,次印监名+龙入太仆,末印监名送南衙。龙武军唐元功臣、检校北衙等问题还可继续推进。末两篇受其师石见影响关注蕃将和地域,提出“灵州”与“幽州”对立之说,在东西二统之上加入了蕃酋势力,也算有所推进。