本書は7章から構成されています。
第一章は「詩歌・文藝に見る日本人の美学」です。万葉の時代に、自然の美や人生の哀歓といったものを読み込んだ抒情詩がうまれ、王朝の美学を経て洗練され、「もののあわれの美学」に中世の「無常観の美学」が加わり、さらに「幽玄美」が加わって「わび」「さび」の美学となって日本人に極めて特徴的な美学が完成された過程が描かれています。本章には多くの詩歌が引用されており、高校生にとっての「古典」の格好の副読本としても読んで頂けたら幸いです。
第二章「桜の美学」では、古来からの桜を詠んだ歌が多く紹介されています。王朝の美学が仏教的無常観の影響により、「もののあわれの美学」を経て「咲く花」から「散る花」の美学へと変遷し、さらにこれが武士道の美学と結びついて大和魂の隠喩となり、軍国主義に利用されて「散華」の美学となり、多くの若者を死に追いやったことは桜の美学の悲劇でした。
第三章は「武士道の美学」、第四章は「女性にみる武士道の美学」、第五章は「辞世の句にみる日本人の美学」です。多くの武将は辞世の句を残していますが、死に際して、野望や敵愾心を超越し、自然の美、特に花に託して歌を詠んでいることが日本人の美学の特徴です。この美学の伝統は、特別攻撃隊員の辞世の句にまで受け継がれています。代表的な上杉謙信と特攻隊員の句を挙げましょう。
四十九年一睡の夢 一期の栄華は 一杯の酒にしかず 柳は緑にして花はくれない
奥山に 名もなき花と咲きたれど 散りてこの世に 香りとどめん
第六章は「亡びの美学」です。日本人は勝者よりも敗者に注ぐ眼差しが優しく、「敗者の美学」、亡び行くものへの哀感、愛惜の美学が民衆の「判官びいきの美学」となりました。歴史上の政治的役割は敗者よりも勝者が重要であることは言うまでもありません。しかし敵対した勝者よりも至誠を貫いて敗北した悲劇の英雄に日本人は愛惜を感じるのです。藤原時平と菅原道真、源頼朝と義経、足利尊氏と楠木正成、大久保利通と西郷隆盛の場合、皆然りです。
最後の第七章は「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」という『葉隠』の有名な言葉ですが、吉田松陰が伝馬町獄中から高杉晋作に宛てた書状にある次の言葉と合い通じるものがあります。
「世に身生きて心死するものあり、身亡びて魂存する者あり。心死すれば生くるも益なし、魂存すれば亡ぶるも損なきなり。(中略)死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし」
『葉隠』にある「常住死身になりて居る時は、武道に自由を得、一生落ち度なく家職を仕果たすべきなり」を実践した人物として、著者は西郷隆盛、江戸城無血開城を実現させた人物である山岡鉄舟、坂本竜馬、高橋泥舟、幕府の瓦解を予見しながらも新国家の為に横須賀湾に造船所を作った小栗上野介らについて述べ、最後に、幕末と先の大戦後という日本の歴史の転換期に、外国との交渉において卑屈になることなく信念をもって「常住死に身になりて」毅然としてロシアと対峙した幕末の川路聖謨と、戦後、吉田茂の懐刀として敢然としてGHQと対峙した白洲次郎をとりあげています。
本章の最後の文章を引用しましょう。
「悠久の大儀のためには死を厭わない。西洋近代の人間主義が偽善的に自殺を貶め、人間から死ぬ自由を奪うことによって失った、より高次元の生命の輝きを日本人の武士道は保持している。武士道のモラルにおいては、自己の名誉と尊厳と自由を守る究極の手段が高貴なる死である。これが「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」の真意である。そこに武士道の究極的な美学がある。一方、武士道に於ける死には基底想念として無常観と、永遠なる自然美への帰一の願望という美学的な側面がある。このことは西洋の騎士道には見られない武士道の美学の際立った特徴である」
本書の意図するところは、日本人の美学の伝統について認識をあらたにすることです。それによって日本人本来の美学を回復し、我が国の伝統と文化に誇りを持ちたいものであります。
0 有用 F 2022-08-08 05:22:52
不会日本古文,对日本俳句始终不敢兴趣,这本书里有不少俳句,这对我来说反而是阅读障碍(看着看着想拉进度条) 看到最后,还是始终如一get不到日本武士道的"美学"。 作者说日本樱花的美学被军国主义利用是一种悲剧。这点挺好,至少敢说出来…… 桜に象徴される自然美への憧憬の奥には無常観があり、日本の軍国主義は死を讃美したが故に美しく散る桜の美学が軍国主義に利用されたことは悲劇であった。