社会学理論の歴史を、1848年二月革命にはじまる〈社会的なもの〉の苦難の歴史とコインの表裏としてとらえ、二度の総力戦、冷戦、そしてグローバリゼーションなどリスクに満ちた20世紀を駆け抜けた学として、社会学のアイデンティティを生き生きと描き出す。
【本書の特色】
◆ヨーロッパとアメリカの社会学をバランスよくとりあげ、また従来社会学としてはあまり注目されてこなかった人物・思潮にも光をあてている。
◆社会学の歴史を「社会的なもの」という視角から描くことによって、社会学と社会運動、社会思想との関係も詳らかにする。
◆専門分化しがちな現代社会学に対し、大きな見取り図を提供し、社会学の思想をまるごととらえることを可能とする。
【刊行の言葉】
10年ひとむかし、とよく言われるが、21世紀も20年もたつとさすがに、出来事を〈21世紀という枠組〉でとらえざるをえなくなる。21世紀が自立化してくるのに応じて、20世紀の方もまとまりをもった〈ひとつの時代〉として感得されるようになるのである。
社会学を専攻している若い人と雑談していると、私としてはふたつのことが気になって仕方がない。
そのひとつは、それなりに知識の蓄積はあるのだが、ひとつひとつの知識がバラバラで、お互いに有機的な関連をもってはいないように見受けられること。ふたつめは、知識の掘り下げがただただ「専門化」の方向にのみ向かい、隣接する分野への関心がきわめて乏しい、という特性である。
たとえば「ハビトゥス」という言葉を聞くと、ブルデューという名前が直に浮かび、(Wikipediaにも負けない!?)「知識」を披露してくれるのだが、「教育社会学」に関連する術語としてのみ受け取られている。例えばT。H。マーシャルが1934年に書いた論文のなかで、「人々のハビトゥスを形作る子ども期および青年期の経験・環境・教育」に焦点を合わせて分析するために、「社会的階級」という概念を提唱したという「歴史的事実」は全く関知されることはない。もしもマーシャルの知的営為を知っていれば、教育と福祉さらにまた市民権の問題領域は極めて隣接していることは容易に納得されるはずである。
Wikipediaで構築されたような知識の〈静止画像〉を〈動画化〉するためには、ひとつひとつの知識を〈統一的なストーリー〉のなかに嵌め込みつなぎあわせるというのが、私たちの開発してきたもっともポピュラーな知的技法であろう。社会学の流れが簡明に浮き彫りにされるために、一人の作者によって社会学の通史が物語られることが必要な時期が、また到来したのである。
そうした社会学史では、ビックネームの学説の到達点=学説の上澄み(もしかしたら出涸らし!?)を要領よく提示するだけでは、Wikipediaに慣れ親しんだ人々の「知識」には到底太刀打ちできない。というのもT。H。マーシャルが「市民権と社会的階級」という講演論文において、公民的→政治的→社会的、という市民権に関する三段階の発展図式を提示したことはすでによくご存知だからである。「社会的階級」と「市民権」がペアである所為を明らかにすることにまで、どうしても踏み込んで論じる必要がある。
社会学の歴史書ということで21世紀の現時点で必要とされるのは、①取り上げられた理論の構築プロセスにまで目配りをしつつ、同時に②様々な諸理論を数珠つなぎにするような統一的なストーリーをもった物語である、という特性であろう。(著者)
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