はじめに
「民衆の教育経験」とは/「生活極めて困難故に本人を要す」/史料の意味すること/史料の意味するもう一つのこと/初等教育をめぐる研究史/学校教育の受容過程を検討する/本書の四つの課題/本書執筆の動機
第1章 就学と進路をめぐる動向 ―― 農村と都市
1 日露戦争前後の不就学 ―― 東京府田無町の例
不就学者と家族/不就学者の職業
2 第一次世界大戦後の教育水準
農村における教育水準/農村と都市の比較
第2章 国家と学校の望む子ども像 ―― 一八九〇~一九三〇年代
1 学校の子ども像の形成 ―― 日清・日露戦争期
東京府編入当時の田無小学校/生活のリズム,学校のリズム/子どもの生活/教室で身につけたもの
2 学校の子ども像の定着 ―― 第一次世界大戦後~一九三〇年代
新築された田無小学校/学校生活の一年/大正期の田無の子ども/実業補習教育の普及/学校と家庭の連絡
3 学校と家庭を結ぶ
家庭との連絡/学校の望む子ども像
第3章 村の子ども像の輪郭 ―― 一九二〇~一九三〇年代
1 農民家族のなかの子ども
「村の子ども」の発見/教師の希望,農家の親の意向/農民家族と子ども/労働力としての期待/村の女の子/「孝子節婦」=求められる女性像
2 村の子どもの自己認識
都会の記者が見た村の子ども/村の子どもへの「絶大な刺激」
3 都市近郊農村にあらわれた変化
『東京市域内農家の生活様式』にみる親の子ども観/都市近郊農村の農民家族の役割分担/農村青年を悩ます結婚問題
4 描かれた村の子ども像
生活綴方教育が発見した村の子ども/郷土教育が描いた村の子ども/農村に入りこんだ家庭教育/さまざまな村の子ども像
第4章 都市の子ども像の輪郭 ―― 一九二〇~一九三〇年代
1 都市新中間層の子ども ―― 東京府中野町
東京中野町の風景/『ももぞの』の子ども像/次代の国民として育つ/綴方のなかの満州事変
2 『ももぞの』の綴方にみる家族と子ども
綴方の世界と個性尊重/親の学校への期待/発見された「都会の子ども」像/家族の領域/子どもの領分
3 子どもの自己認識
童心主義との落差/「よい子」の基準と受験/「よい子」と帝国意識の交錯 ―― 多様で矛盾する自己認識
4 東京府滝野川周辺の子ども
第5章 教育の社会的機能と社会移動
画期としての第一次世界大戦/教育の社会的機能(1) ―― 国家主義的な教育内容と規律/教育の社会的機能(2) ―― 社会移動と夜学校・講義録/半世紀ぶりにもどった「中学講義録」ノート/山梨・飯窪三千雄の例/教育の社会的機能(3) ―― 社会集団の担い手形成/教育の社会的機能(4) ―― 民衆運動のなかのリテラシー
第6章 戦時下の少国民 ―― 農村と都市の対比
1 少国民の問い方
2 十五年戦争下の小学校と子ども
3 戦時期の児童生活調査 ―― 農村と都市
平日の生活時間/休日の生活時間/子どもは一日をどのように過ごしたか/児童生活調査にみる戦時下の子どもの生活
4 農村の子どもの戦時期
『富岡寅吉日記』/学校生活が拡大することの意味/日常に拡大する戦争/山村の子どもの事例/矛盾の結節点=戦時期
第7章 学童集団疎開から戦後へ ―― 吉原幸子の戦時と戦後
1 学童集団疎開と吉原幸子日記
なぜ吉原日記をとりあげるのか/吉原幸子の略歴/疎開前の生活(一九四四年七月から八月)/吉原幸子日記への二つの印象/学童集団疎開の決定
2 学童集団疎開の体験
学童集団疎開の実施/到着,歓迎,一日の生活/幸子の役割,幸子の日々/地方と都市/少国民をつくる ―― 新聞取材の検証/「しっかりとした少国民」への道 ―― 決意表明の日記/「しっかりとした少国民」とその矛盾/決意表明の日記の検証
3 縁故疎開へ
帰京から再びの疎開へ,そして敗戦/日記を書きつづけるということ
4 少国民誕生の意味
少国民への統合/少国民と家族/映し出される差異と矛盾/集団疎開にあらわれた矛盾
5 吉原幸子の戦後体験
敗戦後の吉原幸子/幼年期へと向かう吉原/歴史のなかの吉原幸子/その後の吉原幸子
おわりに ―― 民衆の教育経験とは何だったのか
農村と都市 ―― 教育と家族のかかわり/さまざまな子ども像/子どものジェンダ―/敗戦後の教育事情/教育の民衆的なとらえ返し/戦時体験の回想を検討する/戦後三二年目の回想と吉原幸子の位置/民衆の教育経験とは何だったのか ―― 三つの問いに即してあらためて考える
補章 戦時下の本土と占領地の子どもたち
はじめに
1 健康と少国民 ―― 光明学校の例
2 内地のなかの朝鮮人の子ども ―― 協和教育
3 南洋占領地の子どもたち
おわりに
注 記
参考資料「〈シリーズ日本近代からの問い〉刊行のメッセージ」について
あとがき
岩波現代文庫版あとがき
解 説(安田常雄)
解 説(沢山美果子)
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收起)
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